神様が未来を言うとき

運命を作っているのは神様ではなく、相性と共鳴だというお話しをいたしました。それでも、神様はある程度の未来は教えてくださいます。

このままいくと倒れる、子供はできる、相手がみつかるだろう…etc

神様が人の運命をつくっているわけではないのに、未来を見通せるのはなぜか。それは人に「役」がついているからです。

この人は人を救う役がある、この人は産む役がある、この人は最上を求める役がある、この人は恭順することに尽くす役がある。この人は歳を就く役がある。この人は神様に盲信する役がある。

それらの役を背負っているのをみて、おおよそこの人は結婚するために駆り立てられるだろう、この人はこのくらいの年齢までにこれをしなくてはと駆り立てられてその役を果たすだろう、この人は人に尽くしすぎてつらくなって仕事をやめたくなるだろう、という結果は神様はお分かりになります。

役に駆り立てられて、なんとかそうなっていくだろう、あるいは先に尽くしすぎて倒れるだろうと、いうのはお分かりになりますし、

産む役と生まれるべき相性のある魂があれば、おおよそ子は産まれるだろうというのは大体結果が見えているのです。

ですが、おおよそはわかっても、ピンポイントまではわかりません。

役に駆り立てられた人がどうなるかまではわかっても、何年何月の何日に、というところまではそれこそ「人がつくる」運命ですからぶれがあるのです。

人は占いやら神託で、未来を知ろうとします。それもまた「運命を求める役」です。自らの運命を知りたい、どうなるか知りたいと駆り立てられる。

どうすれば宝くじがあたるのか、運がよくなればいいのか、どういう人があたるのか、なんでなんだ、というのは「投機を妄執する役」です。この役がつけば、かけ事に惹かれます。恐怖によって自分ではやらなくても、芸能人がギャンブルや投資で勝った負けた、そういうニュースに共鳴します。

自分の中で強制的に意識が向いてしまうのは役です。

これに価値がある、これを買わなきゃと駆り立てられる。

人は自由が許されているのに、自由でなく、役に縛られるのを望む。不思議な存在なのです。

 

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