人に許されたいなら自分を許すことです。

投稿者: | 2017年7月29日

いつもごらんいただきありがとうございます。

「あのときああしていたらな」「あー、あの時にもどってやりなおしたい」と思っていた時に天に諭された言葉があります。

「人生は一つの川のようなもので、そこに船こいでのりだすようなものだ。因縁積むと、その川の先に流れを邪魔する岩になったり、なにか外から邪魔がはいったり、船に不都合が出たり不具合がでたりする。それをどう乗り越えていくかが人間の選択であって、起こったことは起こったこと。それはもう流れを巻き戻してどうこうできない。そのあと起こる不具合をどう解消していくかだ。岩に当たったら船はぼろぼろになってしまう。流れに身をまかせることも、岩をよけることも人はいろいろぶつかったものに対処していかねばならぬ。だがその岩をつくったのも自分の因縁ひきよせたものであるから仕方ない。どう乗り越えていくかである」

それはそうなんですけど…とぶちぶちしていると

「そもそもお前は自分を許しておらぬゆえ、やらかしたことが罪だと思うゆえ、自分で罰をおっているようなものだ。おこったこと、やってしまったことは過ぎて流れたことなのにいつまでもそれをひきずって、どんどん岩を自分で積み上げているだけ。神は罰などあたえない。人に積みあがるは過去含めて自分で積み上げた因縁ゆえである。まあ、家族の積み上げた因縁を本人が被る場合もあるが、それもそれ、本人の魂が望んでいる故」

そういわれてふと、自分は過去にしてしまったことや、相手を傷つけてしまったことなど悔いることはあれど、自分で自分を許したことがあっただろうかと思い立ちました。

自分を自分で許していない。これもまた因縁を積むことになります。不要に自分を責めること、これは自分の人生をハードにしてしまいます。許していないのだから、罰があるべきだと、自分の深層意識が勝手に罰を作ってしまうのです。

自分のせいで…と思っているうちは罰がきます。「じゃあ反省しなくていいんだね!」ということではありません。省みて、今後はしない、次は気を付けようと心に刻み、あったことはあったこととして流して、過剰にせめることなく、自分を許してあげてください。「わたしは○○したことを反省しました、全部許します」と自分に言葉かけてください。

昔は教会などでありましたね、罪を告白すること、そしてそれを神につたえて許しを得ること。これが今の世の中ありません。

教会は己の罪と向かい合って、許しを得るために、寺社は寄進をして積んだ因縁払落し、徳を積めず、成仏もできない霊たちに、仏のお力借りて功徳与えて成仏させるために、神社は道を教えて因縁積まないよう、解消するよう、よく生きるためのガイドをするために、

それぞれが人間がよいように生きていくための場所であったのです。

パワースポットだの、エネルギーをもらいにいくだの、そういう「いただく」だけでなく、本来の役割をしていただいている場所として、お付き合いしていくこと、原点にたちかえることも大事なのではないかなと思います。

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