霊、を侮るなかれ、です。

投稿者: | 2017年6月25日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

ここ最近ココナラ以外の案件で、霊障や霊が原因の案件が重なり、多少体が重いので今週も神社に参拝いたしました。

途中、後ろをあるく主人の後ろに飢饉で餓死された小作人のような方が見え、お顔も体も真っ黒でまさに亡者という感じでしたが、参道を上るに従い、お顔が明るく照らされて、帰るときには綺麗な御霊になられて、こちらに頭を下げられました。

おそらく、浄化して上にいきたくて、こちらについてきたのだと思います。強制的に除霊してもよかったのですが、神々が「こっちでやるからはよのぼってこい」(お社が階段や坂をのぼったうえにあるのです)とおっしゃるので、そのままお連れしましたが、結果よかったのだと思います。

助けを求めるものには救いがかならずあります。ですが霊になってしまうと自分ではなかなか助かることができず、結局生きている人間に憑くのです。一旦迷いの道にはいるとなかなか自力で上にあがることはできません。お線香、お供物の一つでもさしあげることで、御霊もその煙で少し前進できるのです。そういえばお盆もなにもしていないわ、という方がいらっしゃったら、ぜひいつでもよいので神棚でもテーブルでもかまいませんので、ご先祖様にお供えものをしてください。

ご先祖様みな、成仏されて上にいかれていればそれでよいのですが、浮かばれない御霊がいらっしゃると、どうしても運気も低迷いたしますので、本当に開運したいのであれば、ご供養、これがとても大事なことになります。お寺が身近だったころには檀家さん、みなさまやられていたあたりまえのことでしたが、いまは核家族化もすすみ、なかなかご先祖様に手をあわせることができない状況ですから、お心だけでも少し供養してさしあげたいですね。

別に、神道でも仏教でもかまわないのです。キリスト教でもなんでも宗派は関係ありません。人は死ぬと、御霊になり、御霊まよえば孤独になり、けがれがたまれば怨霊になります。

迷っている程度ならまだ、供養の一つでなんとかなりますが、怨霊になるともう、手の尽くしようがなく、生前の気持ちも心も忘れ、ただ人を害する存在になります。

こうなるととても危険で、一度怨霊たち(まあ、恐ろしいほどの数でした。もうこんなの受けたくないと泣きがはいるほどの)と戦ったとき、家に入られるまではいきませんでしたが、その霊の負のエネルギーだけで、家族がみなイライラし、わたくしも娘も顔の右側にけがを負い、なおらない風邪をひくはめになりました。

憑依されずともそのくらいの障りはうけるのです。ご先祖様怨霊になる前に、迷っているうちに供養するが楽です。

心もち一つでご供養できるのですから、ごはんひとつでもよいので、怨霊になってから「こまった!助けて!」とかけこむよりずっと安上がりでご自身の開運にもなりますよ。

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