人が求めるから役がつく

投稿者: | 2019年1月29日

「役」というのがいかに人を縛っているのかはずしてくとわかってきます。ですが、人が求めるから役がついているのも事実です。

「神様」といわれる存在が人に与える運命は本来「進化する運命」だけです。とはいえど、進化する運命を持たずに生まれてくる魂もありますが、それはいずれ追々。

とはいえど、人が求めているから神様としては人にあたえた役というのがいくつかあります。その一つが「人と引き合う役」です。

人が一人でいるのがつらいから、だれかを求める。だれかを求めたいと寂しいと心が駆り立てられる。それが人と引き合う役です。そして「人と結ばれる役」もあります。会いたい、出会いたい、結ばれたい、というのは人が一人でいるとつらいから、と神様が人にあたえた役でもあります。あなた自身がだれかと一緒にいたい、なにかと一緒にありたい、というのはそれが役でもあるからです。そういわれればロマンのかけらもありませんが…。

人は役に縛られるにもかかわらず、どうしていいのかわからない、なにをすればいいんだ、どうすればいいんだと「役」を求めます。ある程度の物差しやルール、使命が欲しいと神様に求めます。

なにすればいいの、どうすればいいの、と人が思うから神様は役をつくったのです。役に準じる「年の役」もつけたのです。

とはいえど「人に役を付ける」のは人に罪をつけることでもあります。役によって駆り立てられ尽くしてしまう。そのために自分自身の力で無理ならばと悪魔の力も借りる。術にも手を染める。何が何でも手に入れたいと様々駆り立てられます。だからこそ人に役をつけた神様というのはペナルティをいまでも負っています。

真理を知っていくと、神様が何をして、どう人に干渉しているかがわかってきます。とはいえど、大っぴらに声を大にしていえるようなものばかりではないので、そのうちなにかしらの形で、頒布していこうと思います。

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